4日目。
午前中は、出発前に問い合わせのあった会社からの資料を作成。
ゲストハウスの共有フロアの奥のソファーで、持ってきたmacbook Airを手元に、宿泊している知り合った人達にもアイデアを借りながら、資料作成を進めていく。
出発前にクライアントに連絡をしているとはいえ、一応仕事を平行させながらの旅なので、仕事のノルマを達成しておかないと、旅先であろうと外に出ることはできないのだ。
仕事が一段落し、出かける準備が整ったのはもう昼の13時を過ぎていた。
今日は、宿に泊まっている、大学生の男の子ヒロキと、自営業で休暇でニューヨークに長期滞在をしている小松さんと3人でニューヨークの街を歩くことになった。
11月のニューヨークは日本に比べると、格段に寒い。季節が一つ先に進んだかのように感じる。日本の真冬並の寒さだ。
宿の最寄駅のMorgan Ave駅から地下鉄に乗り、2,3回乗り換えをした。
小松氏はニューヨークの滞在も長く、何度も来た事があるので、地下鉄の路線にも詳しく、スムーズに乗り換えをしていく。
途中、乗り換えの駅で、メトロカードを差して改札を抜け、階段を少し進んだところで後ろを振り返ると、ヒロキの姿が見えなくなっていた。
いつからいなかったのか分からなかったが、幸い、歩いてきたルートを戻り、改札口に戻ると、メトロカードが通らず立ち往生しているヒロキの姿があった。
ニューヨークのメトロカードは、日本のそれと比べると、精度の高いものではなかった。
駅のINFORMATIONで、カードを提示するもその場では治してもらえず、書類を渡されて後日オフィスに行きなさいという事になった。
ニューヨークのメトロカードは、3種類あり、レギュラーメトロカードは、予めカードに現金をチャージしておき、1乗車ごとに2.50ドルがカードより引き落とされる。
その他、7日乗り放題で、30ドルというものと、30日乗り放題で112ドルというものがあり、ヒロキが購入していたカードは30日の乗り放題のカードで、まだヒロキはニューヨークに来てから滞在5日なので、5日ほどしか使用していない。
このままカードを失効するのももったいないし、これから移動するのに都度お金を払うのももったいない。
すぐにカードを再発行してもらえないというニューヨークの地下鉄事情。
仕方が無いので、今日は1枚のカードを通して2人で改札を通過していくという形をとった。
周りを見ていると以外とこうやって改札を抜けていっている人は多い。ニューヨークはキセルという行為に対してあまり厳しくはないようだった。
そしてまた地下鉄に乗り、とある駅で下車をし、地上に出て少し歩くと、ウォールストリートに出た。
ウォールストリートは、世界の金融地区「ウォール街」として定着しており、ニューヨーク証券取引所をはじめ米国の金融史とゆかりのある地区である。
コンクリートや、レンガなどで作られたたクラシカルで歴史のあるビル群の隙間を歩きながら、その街の雰囲気を味わった。しかし、予想とは少し違い、リッチな服やアイテムを持った億万長者がうろうろ歩いているというような雰囲気では決して無く、以外と俺たちのような庶民が歩いても不自然ではないようなビジネス街だった。
そして少し歩き、ブロードウェイとウォール街の交差点にある、トリニティ教会というところについたので、中へ入ってみることにした。
扉を開くと、広い空間が広がっており、奥の祭壇からピアノの演奏とともに歌声が聞こえてきた。
少しの間席に座り、教会の雰囲気を感じながら、辺りを見回していた。
祭壇の奥に大きく張られたステンドグラス、両脇にそびえる柱頭、天井や、身廊と呼ばれる中央のメインの通路のデザイン等、その細かく作り込みされたデザインに目をやった。
メインの大部屋の脇に他の小部屋へ通じる扉があったので、他の部屋も見てみる事にした。
部屋というよりは、石像が祭られた空間、といった感じのものだった。
石像以外にも空間自体にも彫刻が施されており、非常に細かくデザインされている。
石像の細かい作りを眺めながら、これを作った人の事や、完成までに掛かった時間や、技術、いろいろ考えると、とてもじゃないが現代人にこれを作れる根気を持っている人は少ないだろうなと、関心した。
しばらく見物した後、少し海辺を歩いていると、遠くに小さく、自由の女神像が見えてきた。
このウォールストリート周辺は、マンハッタン南部の海沿いに位置しており、波止場から船に乗って自由の女神クルーズに出る事もできる。
今日は、もう夕方で男3人で自由の女神を見るという気にもならないので、また少し歩き、グラウンドゼロのほうへ向かうことにした。
グラウンドゼロとは、もはや説明不要だとは思うが、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件で、ハイジャックされた4機の飛行機によって行われたテロ事件のその一つの被害地となった、世界貿易センタービル(WTC)の跡地である。
エントランスで入場料の変わりに、ドネーション(寄付)いう形で、料金を支払い、通路を渡っていく。
飛行機に搭乗する時くらいの厳しいセキュリティチェックを通り、グランドゼロの跡地へと歩いていった。
現場に到着したときはすでに薄暗くなっていた。
大理石で大きな正方形を造り、中には、噴水のように水が上から下へと流れる巨大なオブジェとも呼べるような巨大な空間が美しくライトアップされている。大理石には、被害で無くなった方々のサインが刻まれていた。
この事件が起きた時、自分が何をしていたかという事を思い出していた。
あの時は確か20歳で、メキシコ料理店のキッチンで働いていた。料理を作っている途中に、ホールにいる店長がキッチンに駆け込んできて、アメリカでテロが起きたということを驚きながら従業員に伝えていた。
その時は、正直そんなに大事件なのか、状況が掴めなかったが、仕事上がりに当時やっていたバンドメンバーの家に寄る事になっており、家に入ると、深刻そうな顔でニュースを見ている友達の姿があった。
僕も一緒にテレビに釘付けになり、その後、これから世界が大きく動くということを確信した。
そう、その跡地である。そんな自分の思い出や、テロが起きたときのこの現場の事、無くなった方々の事など、いろいろな事を考えたり、メディアで取沙汰されていた陰謀説や、裏話などの会話をしながら、時を刻んだ。
その後、また地下鉄を乗り継ぎ、ゲストハウスへと戻り、そこで出会った仲間達と食事と酒と会話を楽しみながら、一日が終わっていった。