4月20日(水)の夜、吉祥寺駅から自宅へ帰る途中、仲間のTさんから電話が。
「明後日、マイクロバスを借りて東北にボランティアにいこうとおもうんやけど、行く人おらへん?」
一通の電話からはじまりました。
行きたいけど、、えらい急だなとおもいつつ、いけるときにいかないとなと思い、次の日、Tさんの構えた日本橋のオフィスにお邪魔することに。
ものすごい勢いで、ボランティアセンターへの訪問の手配や、マイクロバスの手配、人の募集の対応などがすすんでいる。
今回のボランティアに関する話や、世間話をした後、近所の飲み屋で語りあい、次の日の夜、また日本橋で集合することに。
4月22日(金)夜、出発。
東北自動車道を北へ、6時間ほど、休憩を何度かしながら、早朝、気仙沼市に到着しました。
朝からしとしとと降り続く雨。初日は、民家のKさん宅の床下の土砂すくい。
あつまった仲間9人で手分けして、床板をバールではがし、その下の土砂をひたすらスコップですくい、掃除。
作業は昼の3時までとセンター側で決まっているみたいで、3時に終了し、雨と土砂で汚れた体を流すため、銭湯探し。
銭湯は震災の影響で締めてしまっている店も多いようで、たまたま空いているいる銭湯をみつけ、入ることに。
体をさっぱりと流した後、営業をしている中華料理店に入り、参加メンバー全員で食事会をしました。
その後、バスでボランティアゼンターの駐車場に車を止め、しばらく談話をしたあと、就寝。
二日目。
気仙沼の避難所になっている体育館で、ジャズのチャリティーコンサートがあるということなので、イスの準備や、テントのセッティングなどの手伝い。
結構間があったので、被災地の子供達と、少しの間、バスケットボールや、音楽に合わせてパーカッションをしたりして遊びました。子供達はすごく元気に笑顔で遊んでいました。
その後、コンサート修了後、片付け作業。
二日間のボランティア活動が無事終了しました。
その後、被災地域にもう一度足を運び、少し高台で家が無事な場所があり、そこに住んでいる方の震災時の様子のお話や、携帯で撮影した津波のビデオを見せてもらいました。
ビデオに写っている流れている家が目の前にあったり、津波の高さや恐ろしさを物語る痕跡を見て、本当に言葉がでない思いがたくさんありました。
その後、お香をたて、目を閉じ、手を合わせ、東京へもどりました。
2日間しかお手伝いできませんでしたが、できることから、やっていきたいと思います。
最前線で動いてくれたTさん、ありがとう。
こういう人の行動が、被災地の人々を少しづつ救っていけるんだなと思いました。
「いったら、わかる。」
忘れられない言葉になりました。